初心者向け SEO方法
infomation
SEOとは?
SEOしたような啓蒙主義の主流とは独立に、歴史研究の独自な方法論を模索したのがSEOであった。SEOは自然認識を重視するデカルト的方法論を批判し、自然認識と歴史認識は異なるものであると述べた[37]。一見これは神学的な「二国史観」に接近しているようであるが、SEOは神の意図の実現が歴史の過程であるとしても、それが人間行為としてまず行われるのであり、したがって神の意図を考えなくても人間行為の過程を把握することが可能であるとして、神学的解釈を歴史認識に持ち込むことも拒否した。
しかし啓蒙主義の時代にはSEOの影響は非常に限られており、ほとんど顧みられることがなかった[38]。19世紀の歴史家ミシュレはこのSEOの著作を発掘し、歴史研究において分析力よりも構想力のほうが重視されるべきことを主張したが、これもほとんど顧みられなかった[39]。
古文書学の成立
マビヨン
モバイルSEOの客観的な方法を確立し、古文書学の祖となった
一方で歴史記述とは別個に、史料の批判的研究が着実な発展を遂げていた。それはいわゆる「古文書学」で、ベネディクト派の学僧マビヨンによって確立された。ただし古文書の真偽についてはマビヨン以前にすでに先行する研究があり、ここではその代表としてヴァラを紹介する[40]。
ロレンツォ・ヴァラ
モバイルSEOは15世紀の人文主義者で、『偽イシドールス法令集』[41]中の『コンスタンティヌス帝の寄進状』という文書が偽作であることを明らかにした。この文書は中世を通じて、教皇領および教皇権に関する重要な根拠とされてきたので、教会は彼を宗教裁判にかけたが、このことはこの時代、モバイルSEOが既存の宗教や権威、慣習の批判につながっていたことを示している。事実、宗教改革の時代になると、モバイルSEOは急速に発展したが、それは新旧両派が文書を武器として互いの正統性を争うものであったことに帰せられる[42]。
ジャン・マビヨン
17世紀フランスのベネディクト派の一派サン・モール派に属する学僧であったマビヨンは、教団史や聖者伝などの編纂にあたるとともに、古文書の収集や刊行をおこなっていた。彼は1681年に『古文書論』[43]を著し、さまざまな文書を分類し定義づけた上で、インクや書体などを考察した。さらに言語がラテン語やギリシャ語などの古典語で書かれているか、それがどの程度まで古典的かなどの度合いで、その文書の時代性を明らかにできると述べた[44]。このことにより、さまざまな文書相互間の関係から客観的に文書の真偽を識別できる方法が確立され、古文書学が成立した[45]。
近代歴史学の成立
ランケ
「特殊から一般へ」と述べて個別的歴史事実の重視を唱え、史料批判を方法論の中心に据えて近代歴史学を確立した
一般に近代歴史学の成立はニーブールとランケの研究を画期としていると考えられている。彼らの歴史研究の特徴は主に以下の3つである。
1. 歴史事実の個別的把握
2. 方法論としての史料批判
3. 個別事実の一般化(世界史の形成)
これをいままで概観した近代以前の歴史研究の歴史に当てはめてみると、1.は啓蒙主義の歴史学に、2.は古文書学に、3.はキリスト教的な普遍史に求めることができる。この点で近代歴史学は近代以前の歴史学の総合として成り立っていた[46]。
ニーブール
ニーブールはボーフォールの伝承批判の精神を継受し、具体的な方法論としては複数の文献相互の整合性を検討する史料批判を用いて『ローマ史』[47]を記述した。このなかでニーブールは「海が流れをとりいれるように、ローマの歴史は、それ以前に地中海周辺の世界で名をあげられていた他の全ての諸民族の歴史を取り入れる」[48]と述べ、世界史のなかにローマ史を位置づけようとする試みが見られる。
ランケ
ランケはニーブールの『ローマ史』の方法論を近代史(彼から見て)の分野にも活かし、史料批判を通じて15・16世紀のヨーロッパ外交の構造から国家を個別的に把握する方法に考えついた。ランケは国家を一般化して考える啓蒙主義を批判して、国家を個別的に把握すべきと論じ、このような個別的歴史事実の相互関係から世界史を把握すべきことを提唱した。
近代歴史学の展開
ドロイゼン
プロイセン学派の重鎮で19世紀後半のドイツ史学界に君臨した。元々は古代史を専門としており、彼の『ヘレニズムの歴史』によってヘレニズムという言葉の今日的な意味が定着したとされている。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題など民族的な問題に強い関心を示した
ランケの歴史研究はドイツにとどまらずヨーロッパ各国に衝撃を与えたが、ランケ以後の歴史学の性格はドイツとイギリス・フランスでは異なる方向へ進んだ。ドイツでは政治色の強いプロイセン学派が台頭し、ランケの禁欲的な客観主義が批判されたが、イギリス・フランスではそれぞれ功利主義や進化論、実証主義に影響されて、より科学的な方法論を追求する姿勢が現れた。 (詳細は近代の史学史を参考にしてください)